むかしばなし
雨降る中 小学生が登校していきます もう二学期が始まったんだね
小学生の夏休み明け 風呂敷に包んだ作品を持って意気揚々と登校
ドリルはテキトー 絵日記はでっち上げ 夏休みの友は何とか終わらせた
そんな事より工作好きの友人が 出した課題というか挑戦状w 船を作ってレースだ


私は学校帰りにいつも立ち寄る模型店で買い集めた部品でカタマラン艇を作った
マブチの船外機を2個 更に固形ロケットエンジンを装着
一方友人は工作用紙をラッカーで固めたフロートが4つ付いたミズスマシ型
プールサイドでクラスメイトの衆目を集める中 ヨーイドン!
私の船は左右のバランスが悪くぐるぐる
彼のミズスマシ号はスクリューでは無く赤いプロペラを回してスイーッと水面を走った
途中まで作ってそのままだったクルマを仕上げました
タイヤの素材が問題で 今までは網戸の押しゴムを使っていましたがイマイチ
トーレニングチューブを使ってみたらシリコンゴムなので接着出来ずダメ
ふと目に着いた電気のコードを切り詰めて使ってみたらバッチシ!
夏休みの工作完成!
職人さんのクルマを停めるために自分のクルマは近くの電気屋の屋上Pへ移動
タダで停めるのも申し訳ないので何か買うモノを探して 目に付いたコレを買いました
JKがよく持っているハンディファンです USB充電式 780+tax
強にすると結構な風量 これをハンドル両端に付ければ自転車走るかな?などとくだらないことを考えてしまいます
カヌーなら一度動き出せば進むかも
遠い夏の日 友人がプールに浮かべたミズスマシ号 スピンナーの付いた赤い三枚羽根のプロペラで水面をスイーーッと走ったのを思い出します
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誤入金された4650万円を返さずに使っちゃったとか言って一生を棒に振っちゃったワ(バ)カモノ のニュースが賑やか 小せぇ野郎だなぁ
昔 第〇勧業銀行ってのがあって お袋が50万円入金して来たら しばらくしたら支店長と女性行員がすっ飛んで来て 何かと思ったら通帳に50万円が直列に2コ=5千億50万円と印字されていました
平身低頭で謝られてサランラップ3本もらって和やかに一件落着
あとで考えたら 数日間そのままにしておけば 当時は 今の小数点以下にゼロが並ぶ様な利率ではなかったので5千億円の数日間の利息でも大変な額だったかもしれない・・・なーんてね(笑)
あるセールスがお客から集金した金を一旦自分の口座に入れてしばらくしてから会社に入金して絶えず自分の口座に残高がある様にして利息を稼いでいたという事があって それがバレて以後すべて振り込みになった
セコく儲けるヤツはいるもんですね
件の銀行 3つ合併して大きくなったけどシステムの不具合連発 ダイジョウブかぁー
今度誤入金したら自転車に乗って逃げ回るよー・・・ってアソコに口座持って無かった・・
通帳捜したけど大昔の事なので見つからず画像ナシ
水漏れを直そうと二階の洗面台の下の扉を開けたら 湯たんぽが出て来ました
ちょっと懐かしい・・父の為に母が毎晩お湯を入れていました
母が亡くなった後は 私がお湯を入れて父の布団に入れるのが冬の日課でした
腰の位置に置いておいて 寝る時は足の方に送って寝るという風にして父は寝ていました
私が生まれた時は寒い冬だったそうで 毎夕父が湯たんぽを産院まで届けたと聞いた事があります
その父も亡くなって 仕舞われたままになっていた湯たんぽに久し振りの対面となった訳です
左側のは長女が生まれた時使用したもの
中学の同級生と集まった時 小学校から幼稚園の話になり更にエスカレートして産院の話になり 女性二人が同じ産院で私の誕生日の一日違いの前後賞という事が分かり どうりで!おまえらが姦しくてオレは寝不足だったんだーと笑った事がありました
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朝イチで同級生宅へ
父親が亡くなったと連絡が来たけれど 家族葬でやるから・・って
近親者でやってるところにひょっこり顔出してもどんなものかと思い参列しませんでした
四十九日も過ぎた頃なので年内には挨拶と思い 北風にシフトダウンして御仏前を届けに行きました
家族葬で楽だったぜと言ってた 確かにそうかもね
私の場合 亡くなったら病院はすぐに葬儀社決めて2時間以内に運び出すようにと冷たく言われるし
葬儀の打ち合わせ 坊さんの手配 訃報作成 親の残した連絡先に片っ端から電話 同じ話を何度もしなきゃなんないし 中には次の代になっていてウチはもう関係ないですからなんて言われたり・・
とにかくやる事がいっぱい 喪主の挨拶も考えなきゃだし 忙しくて悲しんでいる余裕がまったく無い
何百回も頭を下げてなんとか通夜と葬儀を滞りなくこなして 火葬している間の控室の和やかな雰囲気あれは何だろう
久し振りの親戚の和気藹々の会合状態 でもそこには残念ながら一人足りない事に気付く
悲しみはしばらく後からじわじわと
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母と手をつないだのは何十年ぶりだったのだろう・・
その細い手で働き育ててくれたその細い手を握ったまま もし自分に超能力があるならと念じ続けていた
が超能力は無かった 奇跡など起こる筈も無かった
心電図モニターの波形が小さくなりやがて医師が臨終を告げた時 まだかすかに波形が打っていた
いやまだですよ とこの場に及んで食い下がっても仕方のないのだが 医師に言うと これは洞結節が電気信号を出しているだけで心臓は止まっています御臨終です と
その日まで元気で デパートでお歳暮を送って デパ地下で御寿司を買って来て 食事の後倒れた
処置室で数十分 私は別室で待機させられた 窓の外は土砂降りになっていた
やがて呼び出されて医師の説明 大動脈が大きく剥がれて手術をしても助かる可能性は高齢である事もあって極めて低い 助かったとしても血圧が低い状態が続いたので障害が残る可能性が高い どうしてもと言うなら医師を集めて手術をしますが・・・と
やれるだけやるのが良いのか 体を切り刻む事無くこのままか 苦渋の決断を迫られた
そこでかすかに頭をよぎったのは母の口癖だった「ピンピンコロリ」という言葉
結局私は手術はしない事を選んだ
この季節になると昨日の事の様に思えるが あれから早12年 13回忌 助かっていれば97歳 あの時の判断が正しかったのか否かその事はいつまでも胸を離れない
洞結節という細胞が出す最期のあのかすかな信号は何を言いたかったのだろう
買い物に行っているよな小春かな
シクラメンのつぼみが顔をもたげて来たのを見て思い出した
昔々 その昔 シクラメンのかほり♪という歌が流れていたあの頃の話
私は家をコッソリ抜け出して 夜中のハイウェイをひた走り100km離れた彼女の家へ
助手席にはクリスマスプレゼントのシクラメンの鉢植えとベルコモンズで買って来た真っ白いモヘアのセーター
真っ暗な玄関に停めてあった父上の実用車の荷台にそーっと置いて また高速をひた走ってコッソリ帰宅
かくしてサンタクロースは寝不足の朝を迎える

翌日 彼女から電話

シクラメンが深々と冷える栃木の寒さで萎れてしまってはいけないと思い住宅用の銀色の断熱材で包んであったので 爆弾ではないか?と ちょっとした騒ぎになったそうで・・・
へへへ 実はシクラメンには時限装置も仕掛けてあって 恥ずかしそうに葉の中から首をもたげるシクラメンの茎に


まだ若かったころの話
友遠方より来たる
というか近所のパン屋(銀座の有名パン屋の暖簾分けの店デビュー前のアイジョージが職人として働いていた)の社長さんの葬儀で見かけたので「帰りに寄りなよ!」とメール
彼はその親戚として参列 ダメかと思ったけど寄ってくれました
なんだかアニソンやゲーム音楽のギョーカイではえらく有名らしいが そんなの良く知りませんが
私にとっては幼なじみの遊び友だち
ほら!コレ昔一緒に遊んだレーシングカーだぜ 50年動態保存だぜい
オー懐かしい
これで遊んで帰ろうとしたら君んちのバールって犬に半ズボンのケツに噛みつかれたんだ
バールじゃなくってパールね 白いスピッツだったからね
あそっかw
ロボット集めてんだろー今度見せてよ うん来て来て 近くへ来たら電話して!
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