むかしばなし

再生


またカン高い声の社長の通販でお買い物 
だってあの人 東日本大震災の時5億ポンと寄付したんだもの それをあまり言わない男気が気に入ってるのです
以前掃除機も買ったけど今回はコレ
8mmやVHSのアナログテープをSDカードにダビングする機械です

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高橋果実店にて


ビーチ沿いのホテルのロビーを串刺しに歩いて来た目的地はココ
トランプホテルの裏側にひっそり佇む高橋果実店です
コンビニやスーパーの店に並ぶフルーツと違って完熟なので美味しいそうです

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埼玉県人って



予報通り朝起きたら雪 なあんだ大した降りじゃないなぁ
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古い写真に


先日の祖母の命日に叔母たちを乗せてお墓参り 帰りに自宅に寄ってもらって父母の仏壇に線香をあげてもらった
その時 思い出すのも辛いものがあるのでずっと開いていなかったアルバムを出してお見せした
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祖父は1男7女のビッグダディ(昔は普通だったかも) よって私のイトコは母方だけで23人
何かにかこつけては集まって宴会 

黒澤明監督の「まあだだよ」の一シーンの様な写真
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そういえばあの映画に端役でイトコが出ているんだった 
役者を目指して修行のためNYに渡ったがそのまま住み着いて日本料理のレストランを開業しちゃった
町屋東叡で兄貴に作ってやった(費用はアチラ)ランドナーのお下がりに乗って彼も随分放浪したと言っていたなぁ続きを読む

ガラス磨き


ガラスが曇っていたので磨き始めました
べつにキレイ好きって訳じゃないんですけど コレをやると腰痛が改善されるみたいです
思えばクルマを使わなくなってからWAXをかける事も無くなり腕を上げたり背中を伸ばすようなストレッチをしないので・・・要するに運動不足が原因だったかも・・

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蝉しぐれ


ジージージー 五月の蠅と書いてうるさい(五月蠅い) それより八月の蝉と書いた方が良いんじゃね?
爺ー爺ー爺ー おめぇーに言われたくねぇやい
だいたい下積みが長いのにデビューしたとたん急にそんなに思いっきり頑張って鳴いちゃうから短命なんだよ

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布団爆弾


朝目が覚めたら開けっ放しの窓からの夜風が涼しかったのか 布団を抱えて寝ていた

本日終戦記念日

そう言えば父が生前 敗戦間際になったら 塹壕から布団爆弾を抱えて戦車のどてっ腹に飛び込む練習ばかりしていた・・・と言っていたなぁ

幸い本番を迎えなかったので私はこうしてここにいる
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間違って選んだ政治家の間違った判断で犠牲になるのはいつも庶民

震災も酷かったけど戦災はあの比ではない 一度に数万人単位計百万人余の命が殲滅された

災いは忘れた頃にやって来る

多くの過ちを僕もした様に愛するこの国も戻れない もう戻れない

国会議事堂の警備をやってるお巡りさんに聞いて見ましょう
スイマセーン平和への道はどちらですか?


スーパームーン


帰り道の畑道 月がちょっと大きめ 
楕円軌道の月が満月のタイミングで地球に近づく「スーパームーン」という現象でいつもより大きく見える と何かに書いてあった
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前にも書いた様な気がするが・・・
浦和一女という女子高のサイクリングクラブのコーチをしていた事があって 合宿に同行 初日放課後出発で千葉県に入った辺りで日が暮れた
甘い考えのプランニング しかも整備不良でメンバー20人位の半数の自転車のライトが点かない
さてどうしたものかと思ったが 運良く 満月 
目が慣れてくれば月明かりに照らされた落花生畑の中の道は結構明るくて そのせいか彼女達に悲壮感は無く 予定を大幅に遅れて9時頃何とか印旛沼湖畔荘まで無事に到着出来た
夕食後の反省会では「ナイトランがすごく雰囲気が良かった・・・」ですと  
(オイオイ ライト位ちゃんと点くようにしとけや!)

あの時もこのスーパームーンだったかも知れない と今にして思う

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フォトミック・・


八百福に出ていた奇跡の一台 新品同様
ちょっと入札してみたけど残念ながら敗退
昔使っていたFのフォトミックファインダーの最終型 
セルフタイマーと巻き上げレバーにF2みたいな黒いプラスティックのカバーが付いているモデル
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仕事先が類焼火災に遭った時 たまたまそこにあって焼失してしまいました
成人式のお祝い金全部を注ぎ込んで買った宝物でした
フロントバッグに入れて時には背中に担いであちこち一緒に旅をした愛機でした
焼け跡からプリズムが出て来た時には涙・・・
残されたレンズ達の為に中古のNikomatを買ったのだけれども一回も使っていませんので
コレをまた手に入れたところで使う訳でもないのだけれど 
心にぽっかり空いた穴が塞がるかとちょっと思っただけです

何コレ?


大掃除みたいな事をしていたらこんなモノが出てきました
コレは何でしょうか?
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分るかなぁー 分んねぇだろうなぁー ヘヘヘ~イ

①お人形さんのベッド
②ハツカネズミのボクシングのリング
③その他
ヒントはこの動画の雑貨屋さんの中に!続きを読む

虹の向こうは


御存知 日光小田代ケ原の写真です(写るんですハイ パノラマで撮影)
初めて行ったのが高校生の頃 
カラマツの葉の敷き詰められた柳沢林道を走り弓張峠(日本一楽な峠w)を超えて緩い坂を下り 
目の前にこの風景が広がった時は本当に感動しました
それ以来何十回も通っていますがその度に違う表情をみ見せてくれます
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昔は人っ子一人居ない場所でしたが 「草原の貴婦人」で有名になってからはカメラマンがワンサカ
この日も数十人のカメラマンが写真左の方にあるお決まりの撮影ポイントで貴婦人を撮影中でしたが 
帰り道ふと振り向くと草原に低く虹が渡っていました
そっちからじゃ見えないぞーw           
 虹の向こうは~♪真理ちゃん  こんな動画?も・・
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旧車


このあいだ見かけたローレル4ドアハードトップ
昔 これに乗っていたんだ・・懐かしい~
長女が生まれたので安全の為にトランクが付いていた方が良いだろうというのでアコードハッチバックから乗り換えたのです
優雅なボディラインのデザインでエンケイのバハとか履くとアメ車っぽくてカッコ良かったなぁ

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レインモールがメッキだったのでキャリアの足が滑って屋根に積んだ箱入りのベビーベッドがキャリアごと空を飛んでバックミラーに映った時は焦ったなぁ
高速の追い越し車線から路側帯までベッドを引きずったあの時が人生最大のピンチだったかも
その後車検に出したら納車の時 日産の社員が通行人を撥ねて来たので430ターボSに買い替えちゃいました
しかしえらいなぁ 大事に乗られているクルマってかっこいいと思います

カルチャーショック


BSで昭和のなんとかって番組でやってました
中学生の頃 VANの登場はカルチャーショックでしたねぇ
友人が得意げにVANのスニーカーを履いているので当然私も欲しくなっちゃう訳で
しかし当時大宮にはVANを売っている店が無く 中山道を内装三段でひた走り浦和のジェンツという店まで遠征したのです
スニーカーを買うと残ったお金で買えるのはこのステッカーくらいでした
この丸いのとチェッカーフラッグのデザインのステッカー みんな学生カバンに貼ってましたねぇ
ギターケースにも貼ってました

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そのVANショップ詣での途中に位置していたのが今は無き中林輪業でして
ガードネットに立てかけてある JOS シクロランドナー クロスドシートスティ レフォール ユッチンソン42B 4サイドキャリア パールグリーンのTOEIに新たなる強烈なカルチャーショックを受けてしまった訳です
それからはVANそっちのけでその自転車屋のタニシ(注1)になってしまった訳です




(注1 タニシとはショーウインドゥに張り付いて舐め回す様に見るガキを表すeast_bredさんの造語w)
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レッズとY君


うーむ 明日はさいたまダービーか・・・

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                                                        いただき画像です
熱烈サポーターで名を馳せる浦和レッズの生みの親の一人が我が浦和サイクリングクラブの元会員Y君で 彼とは高校1年からの盟友 
一緒に女子高サイクリングクラブのコーチをしたりびっくり日本新記録の大会に参加したり もちろんクラブライフに於いてもいつも一緒だった あちこち一緒に走った 先頭交代して引いてくれるのかと思ったら前に出て屁をこくようなお茶目な奴である ふざけ合って青春を過ごしてきた愉快な仲間
三十歳になって私がJC(青年会議所)に入会し しばらくして彼も浦和のJCに入会するというのでJCバイブルという分厚い冊子を彼にプレゼントした それを読んだせいかどうかはわかりませんが その後持ち前の行動力で数年後には理事長に
日本JCでフィリピンピナツボ火山の被災者の救援にと大活躍

そしてある日浦和駅前でビラを配っている姿がテレビに映りました 
浦和にJ-1チームを作るべく奔走していたのでした 経緯はここに詳しい

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                        いただき画像です
でー何が言いたいかと言うと 私がJCバイブルをあげたからY君がJCに入会して理事長になってサッカーチーム&スポンサーを誘致してレッズが立ち上がった訳ですから そういう意味では私もほんのちょっとレッズには超間接的にですけど貢献していますので どうか明日のさいたまダービーではアルディージャに負けちゃってくれませんかねぇ(冗談ですよ)という話ww

しかしサッカーはともかく たまには一緒に走りたいなぁ

飛んでるぅ


朝ごはんを食べながらTVを見ていたら・・・
最近はみんなでジャンプして写真を撮るのが流行っているそうな
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僕のコダクローム


スライドを探していたら・・僕のコダクローム
親戚からの成人式のお祝い金を全額つぎ込んだニコンFフォトミックで
写真家気取りの私が写っていましたw
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不思議な事に同じ条件でもエクタとコダクロームは退色もカビもありません
フジクロームは退色しカビカビの残念な状態でした
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天草ひとり旅


ひとっ走りしようかと思ったけど アメニモマケル カゼニモマケル 軟弱サイクリストの私
天気晴朗なれど風強し なので ポカポカな縁側で昔の写真を出して来て探し物
昔はカラープリントが一枚50円と高かったのでリバーサルで撮る事が多かったのですねぇ
ライトテーブルなんか無いので障子にかざして
えーっと確かどこかにある筈・・・
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タイ国鉄で



BS見てたら・・タイの国鉄だそうです
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あの夏の日


こんな夏の終わりの暑い日だったなぁ
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少年時代

少年時代←の夏休みには 父に連れられて寝台特急「みずほ」に乗ってはるばる帰省しました
その時良く遊んだ場所です
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取水堰で滑り台をしたり 泳いだり 釣りをしたりした懐かしい場所です

近所の子供は普通の白い下着で遊んでいました
都会?から来た私は海パンに水中メガネ ゴム臭いシュノーケルまで持っていて田舎の子供達に珍しがられました

約一ヶ月の山村留学中w 叔父が送ってくれた小包の中にプラモデルのボートが・・
早速組み立てて 近所の子供達が見つめる中 白い船体が水面を切って走った時には歓声が響きわたりました
しかし 岸にぶつかってブクブクと沈没
一斉にみんな川に飛び込んで救助してくれました

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夏の日

広場の遥か向こうに氷の山が見えたので行ってみたらウエディングドレスでした
なぁんだガッカリ
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一度に三人も貰うのかぁ?ひゃー面倒臭ぇ? (w)
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遠い日

何もかも変わって行く世の中で 変わらない事に価値を見い出す人はどれだけいるのでしょうか
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これは子供の頃見た景色なのですが・・ 続きを読む

料理屋プリン

ちょっとプリンを作ってみました
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以前にもどこかに書きましたが、プリンには思い出がありまして・・

小学生の頃、祖父を泣き落として、晴れて自転車を買って貰える事になったのですが、連れて行かれたのが近所の自転車屋では無く、何故か電車と地下鉄に乗って日本橋三越の自転車売り場(たぶん株主優待か何かがあった為?)
自転車を買って貰ったらその次は大食堂でお子様ランチが食べたいのに・・タクシーに乗って築地あたりの料理屋へ・・
2階の広い座敷に祖父と二人
祖父は刺身を肴にじっくり腰を据えてお酒を飲み始め
私は玉子焼き、そしてプリンを何個も何個も・・
料理屋には、子供の食べる物はそれぐらいしか無かったのでしょうね

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サイクルキャンピングぅ?

この方この方のブログを拝見していたらもう一度サイクルキャンピングをしてみたくなってしまいました
日本縦断はムリとしても一泊でも良いから・・キャンプごっこみたいなのでも良いから・・してみたいですねぇ
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高校1年入学前の春休み、友人3人と鎌北湖でキャンプ
ま、ささやかな卒業旅行ってところですかね
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星に願いを

 小さい頃、私の家には、さっちゃんというお手伝いさんがいた。
九州から出てきた気性の荒い乱暴な人だった。「たかしちゃーん起きなー」と手をビーンと引っ張るものだから腕が抜けて、だらーん。わぁーっとなるのである。
手がニ回抜けて、一回折って、そしてその女は店の前で、二輪車に乗っていた私の背中を無神経に押したのであった。
三輪車よりも少し大きい車輪の、二輪車の太いスポークの間に私の足が挟まっているのにも関わらずである。その瞬間を今でもはっきり覚えている。
そして私は桃太郎の桃の柄の浮き出た籐の乳母車に乗ってほねつぎに通う日々となったのであった。

 湿布の匂いのする白い塗り壁の待合室の真ん中に置かれた陶の火鉢の炭の灰を掻き回して砂遊びをする頃になって、ようやくギブスが取れ、それから痛い痛いマッサージにしばらく通い、また幼稚園に行き始めたのであった。

 そんな訳でクリスマス会の練習などまったく出来なかった私に与えられた役はは{星}の役であった。先生の苦肉の策であったのだろう。居ても居なくてもどうでも良い役だ。もちろんセリフなど無かった。

 その日、講堂と呼ばれる大き目の教室には、机が寄せ集められて舞台が作られていた。その周りには紙の花の縁取りをしたひだひだの布がめぐらされていた。壁には黒いビロードが張られ、天井からは金銀のモール飾りがしてあった。綿を乗せたモミの木がクリスマス気分を盛り上げていた。

 劇が始まった。キリスト系の幼稚園だったから、おそらく演題は「キリスト生誕」の話だったと思う。私は舞台の上に椅子を置き、その上に立って両手を上に上げてボール紙に金紙を貼った星をひたすら上に上げる役である。友達の演技を後ろの高い所から見下ろしていた。早く終わっていつも帰りにもらう砂糖をまぶした黄色い肝油ゼリーが食べたい、その事ばかり考えていた。

 しかし長い時間同じ格好をしていたので手が震え出す、足が震え出す、椅子も揺れる、その下の机も揺れる、そしてとうとうい私はドスンと大きな音を立てて落ちて尻餅をついてしまったのであった。その時、後ろの方で見ていた父兄の一人が「あっ!流れ星だっ」と大きな声で言ったものだから場内は爆笑の渦となってしまった。キリストよりマリア様より文字通りスターになった瞬間であった。

成人式の前撮りで次女が下宿先から帰って来たが、またすぐに栃木の下宿に戻って行った。
後で聞いたら獅子座流星群が見たかったそうである。
夜中の二時頃たくさん見えたそうである。はたして流れ星に何を願ったのやら・・

(UCCクラブライフ13集より転載)

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サルビアの花

サルビアの花には・・ある思い出が・・
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